名古屋高等裁判所 昭和63年(う)89号 判決 1988年5月30日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人楠田堯爾、同加藤知明及び同田中穣が連名で作成した控訴趣意書(但し、第一回公判調書中の弁護人の釈明参照。)に、これに対する答弁は、検察官川瀬義弘が作成した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
第一 控訴趣意中、事実誤認の主張について
所論は、要するに、被告人は、その所有の原判示第一の宅地及び建物(以下「本件第一物件」ともいう。)並びに第二の三筆の宅地(以下「本件第二物件」ともいう。)を原判示高浜市土地開発公社(以下単に「公社」という。)に売却したのが真実であって、本件第一物件を直接Aに売却したり、本件第二物件を直接Bに売却したりしたことはなく、したがって、公社事務局長Cと共謀して、租税特別措置法による優遇措置を受けるため、本件第一・二物件を形式上先ず被告人から公社に売却し、次に公社からAやBに売却したようにみせかけ、各不動産登記簿原本にその旨の仮装の各所有権移転登記を記載させ、これを原判示の出張所に備え付けさせることを企てたこともないのに、「(罪となるべき事実)」として右各事実を認定判示した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、所論の点をも含めて、原判示第一・二の各事実は優に肯認することができ、所論に沿い、右認定に抵触する被告人の捜査段階や原審公判廷における供述は信用できず、この認定判断は当審における事実取調べの結果によっても左右されない。
所論にかんがみ付言するに、所論は、本件第一・二物件は同法にいわゆる「事業用資産」(同法三七条第一項)であり、これを買い替えるならば、租税特別措置法上の優遇措置をまつまでもなく、本来無税であったから、被告人としては右各物件をあえて公社に売却するまでの必要がなかったにもかかわらず、被告人は、右各物件が高浜市の区画整理事業の対象となっていた関係で、該事業の進捗を望む市や公社に請われてこれに協力し、公社に売却することにしたに過ぎないのであり、公有地の拡大の推進に関する法律の存在・内容を知らなかったうえ、被告人と公社、公社とAないしBとの間の各売買契約書の作成に全く関与していない被告人には、原判示第一・二の各犯行を敢行するについて、動機ないし利益がなかったことはもとより、故意もなかった、と強調する。
確かに、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、被告人が所有していた本件第一・二物件は高浜市の区画整理事業の対象区域に含まれていたところ、その仮換地指定につき同市の市議会議員である被告人が強硬に反対したため、該事業の進行が渋滞し、市当局ではこれを苦慮し、公社に協力を要請していたところ、これを請けた公社のC事務局長において被告人に対し該事業への協力を依頼したことが認められる。しかし他方、右各証拠によれば、C事務局長は右協力を依頼した際、被告人に対し「公社で土地を買い上げるということで協力してもらいたい。公社で買ったことにすれば税金もかからなくなるから工事に協力してもらいたい。」と申し出て被告人の意を迎えると共に、「公社の方でも買手を捜すが、被告人の方でも買手を探すように。」と申し向け、被告人はこれらを了承したこと、しかしてその後被告人は、不動産業者D不動産ことD、同E屋ことEの仲介により前記Aに対し本件第一物件を代金二三六〇万七五〇〇円で、不動産業者F不動産ことFの仲介により前記Bに対し本件第二物件を代金二〇〇一万三〇〇〇円で各売却し、それぞれ売買契約書を作成し、被告人自ら右買主との間で代金を決済したこと、ところが公社C事務局長と被告人との前記約束に基づき、右第一物件は代金一四八七万二一五〇円で、右第二物件は代金一四九三万〇八二〇円でそれぞれ公社に売却したこととされ、いずれも租税特別措置法第三四条の二の規定が適用されたため、被告人は前者については合計五〇〇万円前後、後者については合計四六〇万円前後の国税と地方税との課税を免れた(なお、本件各犯行の発覚により被告人は修正申告をした結果重加算税を含めて国税、地方税併せて合計一二〇〇万円余の租税を納めた。)こと、被告人は、公社において登記の形式を整えるため、被告人と公社との間、公社とAとの間及び公社とBとの間の各売買契約書を別途作成することを認識しており、これらの用に供せられることを知りながら、AやBとの間の前記各売買契約が成立した後に、被告人自身の印鑑や印鑑証明書、更にはBから預かったBの印鑑等を公社に届けたことが認められる。
そして、右事実関係に徴すれば、本件第一・二物件が同法にいわゆる「事業用資産」であるか否かということや被告人が公有地の拡大の推進に関する法律の存在やその内容を知っていたか否かということについての判断をまつまでもなく、本件第一・二物件の公社への売却が実体を伴わない仮装のものであって、かつ、公社のC事務局長のみならず、被告人にも原判示第一・二の各犯行を敢行するについて、その動機ないし利益があったことは明らかであり、また被告人が本件第一・二物件の各不動産登記簿原本に原判示の各所有権移転登記が記載され、原判示の登記役場に備え付けられることを認識、認容していたことも明らかであるから、右犯行につき故意の存在も否定できない。
以上のとおりであって、原判決に事実誤認のかどは見いだせず、論旨は理由がない。
第二 控訴趣意中、法令解釈の誤りの主張について
所論は、要するに、刑法一五七条一項の公正証書原本等不実記載罪は、私人の申告・申請に基づき作成される公文書に関し、私人の間接正犯的方法による無形偽造行為を処罰するものであるから、本件のような不動産登記法上の官公署による登記の「嘱託」は刑法一五七条一項にいう「申立」に当たらないのに、原判示第一・二の各事実に同条項と同法一五八条一項とを適用して公正証書原本等不実記載・同行使罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈の誤りが存する、というのである。
そこで案ずるに、原判示の各所有権移転登記は、それらが仮装であったとはいえ、公社が不動産に関する権利を取得し、これを移転するためになされたもので、いずれも、官公署が不動産取引の当事者となって登記を依頼する場合に当たり、不動産登記法三一条、三〇条の「嘱託」によってなされたことが証拠上明らかである。しかして同法二五条一項によると不動産に関する登記は原則として当事者の「申請」又は官公署の「嘱託」によってされねばならないとされているが、右「申請」が刑法一五七条一項にいう「申立」に当たることは異論のないところ、少なくとも本件のような不動産登記法三一条、三〇条に基づく「嘱託」に関する限りは、官公署の「嘱託」も右「申立」に当たると解するのが相当である。なぜなら、原則として当事者の申立による申請主義をとっている不動産登記手続の下で、右「嘱託」による登記の手続については、別段の定めがある場合を除き、「申請」による登記の手続に関する規定が準用され(不動産登記法二五条二項)、例えば、登記簿原本に記載される事項も「申請」による場合となんら相違しないうえ、本件のように官公署が不動産取引の当事者とされる場合は、官公署といえども登記制度を利用する面で私人と同列の資格に立つものといわざるを得ないから、「嘱託」といい「申請」というも実質は同じであって、いずれも登記の申立という範疇にまとめることができ、刑法一五七条一項の「申立」に当たるといって差し支えがないからである。
もっとも、官公署が不動産取引の当事者となっている場合は、通常、登記の真正ないし信頼性が確保できることから、当事者双方の申請によらずに官公署の「嘱託」で足り、その際登記済証を添付することを要しないなどの取扱いがされてはいるけれども、だからといって「嘱託」登記の場合登記の真正ないし信頼性が常に確保されるとは限らず、登記簿原本の不実記載を防止することの必要性は依然として残るから、この点からも右「嘱託」が公正証書原本不実記載罪の「申立」に当たることは明白である。
更に、刑法一五七条一項の「申立」の主体が私人に限らないこと及び公社のC事務局長がその権限を越えて原判示の各行為に及んだ点で私人にほかならないことは原判決が正当に説示するとおりである。
以上の次第で原判決に所論のような法令解釈の誤りのかどはなく、論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山本卓 裁判官油田弘佑 裁判官向井千杉)